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ヘンリー2世 (イングランド王) : ミニ英和和英辞書
ヘンリー2世 (イングランド王)[へんりー2せい]
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〔語彙分解〕的な部分一致の検索結果は以下の通りです。

: [ちょうおん]
 (n) long vowel mark (usually only used in katakana)
: [よ, せい]
 【名詞】 1. world 2. society 3. age 4. generation 
ラン : [らん]
 【名詞】 1. (1) run 2. (2) LAN (local area network) 3. (P), (n) (1) run/(2) LAN (local area network)
: [おう]
  1. (n,n-suf) (1) king 2. ruler 3. sovereign 4. monarch 5. (2) king (for senior player) (shogi) 

ヘンリー2世 (イングランド王) : ウィキペディア日本語版
ヘンリー2世 (イングランド王)[へんりー2せい]

ヘンリー2世(, 1133年3月5日 - 1189年7月6日)は、プランタジネット朝(あるいはアンジュー朝)初代のイングランド王国国王(在位:1154年 - 1189年)である。
父はフランス王国の有力貴族のアンジュー伯ジョフロワ4世、母は神聖ローマ皇帝ハインリヒ5世皇后で、皇帝ハインリヒの死後イングランドにもどり、その後、フランスに渡ってジョフロワ4世と再婚したマティルダである。外祖父(母マティルダの父)はイングランド王のヘンリー1世であった。母マティルダはヘンリー1世死後、1141年内の数か月という短期間ながらイギリス初(スコットランドを含めて)の女性君主となった人物である。
ヘンリー2世は頑丈な体躯をもち、猪首であった。また、「大食ではなく造化の間違い」でできたといわれるほどの巨腹であったが、波乱の生涯を送り、精力的に活動した〔堀米(1974)pp.238-241〕。父方と母方からの相続と自身の婚姻により広大な所領を獲得し、ピレネー山脈から南フランスおよびイングランドにまたがる、いわゆる「アンジュー帝国」を築いたが、晩年は息子たちの反乱に苦しんだ〔。
== 生涯 ==

=== 即位、遺産継承、結婚 ===

1135年、ヘンリー1世は娘のマティルダを次のイングランド王に定めて死去した。この決定にマティルダの従兄のスティーヴン(ヘンリー1世の姉アデラの子息)が異を唱えて同年イングランド王に即位すると、両者の間に「無政府時代」と呼ばれる長い内戦が続いた。
アンジュー伯ジョフロワとマティルダの長子として1133年にフランス西部のル・マンに生まれたアンリ(のちのヘンリー2世)は、12歳になるとイングランドに渡って母を助け、1147年にマティルダがアンジューに戻ってからも、1149年以降何度かイングランドに渡ってスティーヴン側と戦った。いずれの戦闘も短期間で、戦況にはさほど影響は与えなかったが、マティルダ派に希望を与えた。
1150年、すでに父ジョフロワが征服していたノルマンディー公位を受け継いだ。さらに1151年、父の死によりアンジュー伯領を受け継いだ。1152年には、フランス王ルイ7世(若年王)の王妃であった11歳年上のアリエノール・ダキテーヌ(エリナー・オブ・アキテーヌ)と結婚し、彼女の相続地アキテーヌ公領の共同統治者となった。
アリエノールの先夫であるルイ7世は、自身の妹婿でスティーヴンの息子のブローニュ伯ウスタシュと結んでアキテーヌ公領に侵入してきたが、アリエノールの夫となったアンリはこれを防いでいる。1153年にウスタシュが急死すると、アンリはスティーヴンと和平協定を結んでスティーヴン死後のイングランド王国の王位継承者となり、1154年にスティーヴンが亡くなると協定どおりヘンリー2世として即位した〔加藤(2001)pp.76-78〕。なお、このときから、イングランド君主の称号は "''Rex Angliae''" (イングランド国王)となっている。
これにより、イングランド王国にアンジュー家によるプランタジネット朝が創始され、ヘンリー2世が領有する地域は、ピレネーからアキテーヌ、ポワトゥーにかけてのフランス南西部、アンジュー、ノルマンディーなどフランス北西部、さらにイングランドの新領土を加えた広大なものとなった〔。なお、ヘンリー2世の創始した王朝は、本来では「アンジュー朝」と称されるべきであり、事実15世紀までは「アンジュー」と呼ばれていたが、現在では一般に「プランタジネット朝」が用いられる。これは、ヘンリー2世の父ジョフロワがエニシダ(プランタ・ゲニスタ)の小枝を帽子に刺して戦地に赴いたことに由来する〔〔プランタジネットの家名を用いたのは、実際にはヨーク家ヨーク公リチャードが最初である。加藤(2001)p.78〕。

抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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